働きながらの高校生の頃、何度か母にお土産を買って帰ったことがある。
駅前洋菓子店のアップルパイ、新宿老舗の団子、ウナギ弁当、フナの甘露煮、せんべい、シュークリーム。母の好きそうなものを選んだが、母を喜ばそうということではなく、母に食べさせたいということである。
母は一度も「まあおいしそう」と言ったことがない。「こんなことにお金を使うんじゃないよ」、とは言わなかったと思うが、包みを開け、私たちが食べられるようにしたが、母が食べたのを見た記憶がない。
同じ高校生の頃、ある店の鉄板焼きという料理がおいしかった。その当時その料理のはしりだったのかもしれないが、鉄板で牛の細切れとポテトやスパゲティを合わせたものが、じゅうじゅうと音を立てながら出てくる料理である。いまでは大衆レストランの定番である。
母に是非食べさせたいと連れ出したが、「そうかお前はこういうのが好きなのか、今度作ってやっから」と言ってこのときも、「まあおいしそう」とは言わなかった。
それから何年か後、まだ私は金ボタンを着ていたから高校生だったと思うが、母に着物をプレゼントした。あの当時母はどこかに出かけるときはいつも古びた着物を着ていた。
新宿の伊勢丹で母と背格好の似た店員さんをつかまえ、あなたの寸法で着物を仕立ててほしいと依頼した。薄く淡い草色の品のいい柄であった。帯も着物の柄に合わせた。貯金の全部を使ったと思う。
何週間か後、着物が仕立て上がり母に贈ったが、母に喜ぶ表情はなかった。
顔に手をやり考え込んでいるような記憶しかない。ありがとうの言葉もなかったように思う。「じゃ大事にしまっておくからね」という言葉は聞いた気がする。
母が目を輝かして「まあおいしそう」「まあなんて素敵な着物」と言ったら私の人生は少し変わっていたと思う。
母を責める気は毛頭ない。ただ母が日々の暮らしに精いっぱいの顔でいるより、たまには底抜けに明るく「おいしそう」と叫んだら、私は根暗の性格にはならなかったと思うのである。
「ありがとう」の言葉も大切なことだが、「まあおいしそう」「まあなんて素敵な着物」と言った方が、土産を買ってきた人や何かをプレゼントした人は「した甲斐があった」と思うものである。
私は母と同じように「言わなかった」らしい。娘が小学生の頃料理を作ったことがあった。ほとんど覚えていないのだが、私はその時、娘の料理を「まあおいしそう」と言わなかったらしいのだ。言わないで終わっていればよかったのだが、娘の料理になにか批判めいたことを言ってしまったらしい。幼い娘の心を傷つけてしまったのだ。悪気はなかったと思うが、人が傷つく言葉は悪気と言われても弁解しようがない。
私も母と同じように自分の子供に影響を与えてしまった。時折家内がそれとなくチクリと言う。覆水は盆に返らない。口から出た言葉は取り消せない。ただ幸いなことは娘の婿さんが、「笑って育てる」、「褒めて育てる」、という家庭に育った人であることである。私のことは忘れてもらうしかない。(了)
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