あの人はどんな人だったのか(2)

つぶやき

 きのうのブログから、石原慎太郎氏についてすこし考える必要があるとして書きはじめたが、もちろん市井の一老人が書くこと、大したことを考えてのことではない。

 石原さんの差別的発言やエラそうな態度というものが、どこから出ているものなのか、そんな程度のことが気になっているだけなのだ。

 差別的発言については謝罪したこともあるだろうが大半はそのまま。記者会見などでは威張り散らしている。

 なぜ石原氏は「エラそう」に振舞うのか。

 若くして文壇の寵児となったことで、自己肯定感と社会的影響力を早期に獲得したから、という指摘がある。

 ヨットやダイビングなど、肉体を通じた物の考え方ということを経験しているから、「頭でっかち」な知識人が馬鹿に見えてしょうがない、という指摘もある。

 弟・石原裕次郎の放蕩が作家デビューのきっかけとなり、兄としての責任感と誇りが形成された、という指摘もあった。

 1995年、突如石原氏は「日本の政治に失望した」として、衆議院議員を辞職する。何に失望したのか。

 「すべての政党、ほとんどの政治家が保身の目的のためにしか働いていない。こうした政治の現況に、国民はただ無関心である」

 「日本は国家としての明確な意思表示さえできぬ。男の姿をしながら実は男子としての能力を欠いた、さながら去勢された宦官のような国家になり果てしまった」

 2012年、任期途中で都知事の職責を放り投げ国政に復帰する。翌年の国会で日本維新の会として代表質問を行う。

 「浦島太郎のように十八年ぶりに国会に戻ってまいりました、暴走老人の石原であります。……これからいたします質問は、質問でもありますし、言ってみれば、この年になった私の、国民の皆さんへの遺言のつもりでもあります」

「私がこの年になって国政に戻る気になった一番強いゆえんは、実は、昨年の十月ごろですか、靖国神社でお聞きした、九十を超されたある戦争未亡人のつくった歌なんです」

 「かくまでも醜き国になりたれば 捧げし人のただに惜しまる」

 これは、私、本当に強い共感を持ってこの歌を聞いたんですが、国民の多くは、残念ながら我欲に走っている。 …」

 石原さんの政治信条、都知事のことは次回としたい

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